クロード・シモン『フランドルへの道』(平岡篤頼 訳)

ジョルジュとブルムはいまは納屋の戸口につっ立って、壁のくぼみに雨を避けながら、ド・レシャックが一団の男たちといい争っているさまを見ており、その男たちはさかんに身ぶり手まねをまぜ、興奮し、顔をつきだしてしゃべっていて、ひとつにまざったその声はなにか支離滅裂な、めちゃくちゃな合唱、バベルの塔のわめき声みたいなものを思わせ、まるでなにかの呪詛にとりつかれたかのようで、言語というもののパロディーみたいで、そもそも言語もそのように、人間の手でつくられあるいは統制されたすべてのもののいかんともしがたい不実さをもって、人間自身を裏切り、一見おとなしく与えられた役目をはたすかのように見えるだけになおのこと、いっそうの腹黒さと効果をもって復讐するもので、したがって、かえってあらゆるコミュニケーション、あらゆる相互理解のたいへんな障害物となるから、このときも声が大きくなり、まるで音の抑揚だけでは用がたりないことがわかって、もはや音の大小だけにしか希望をかけないみたいで、どんどん大声になっていってわめき声に変わり、たがいに相手を圧倒し、相手以上にわめこうと躍起になり……