村上春樹『辺境・近境』

 でも、自己弁明するわけではないのだけれど、僕の人生というのは――何も僕の人生だけに限ったことではないと思うけれど――果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものなのだ。人生のあるポイントを過ぎれば、我々はある程度その山積のシステムのパターンのようなものを呑み込めるようになり、そのパターンのあり方の中に何かしらの個人的意味あいを見出すこともできるようになる。そして我々は、もしそうしたければ、それを理由(リーズン)と名づけることもできる。しかしそれでもやはり、我々は根本的には偶然性によって支配されているし、我々がその領域の輪郭を超えることができないという基本的事実には変わりない。学校の先生がどれだけ論理的で整合的な説明を持ち出してこようとも、理由(リーズン)というものは、もともとかたちのないものに対していわば無理やりにこしらえあげた一時的な枠組みにすぎないのだ。そんな、言葉にできる何かにどれほどの意味があるだろう。本当に意味があるのは、言葉にできないものの中に潜んでいるのではないのか。

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