福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』
答えがないこと。
それを、しんどいこと、救い難いことだと考える人が多いみたいだね。
しかしまた、答えがないということこそが、生き甲斐の核心だとも考えられる。
つまり、一人一人、全然別の存在である君や僕が、あるいはさまざまな人々が、自分の人生を、自分自身の人生を生きることができる、生きる甲斐があるということの核心というか、根本の部分というのは、「人生の意味」というものが、あらかじめ決まっていないということにあるわけだ。
少し込み入っているかしら。
こう云えばどうだろう。生きることに正解なんかはないということは、その答えを出す権利、これが正解だと決める権限は、君自身に、あるいは自分の人生を生きるそれぞれの人間に、委ねられている、と。
生きるというのは、あらかじめ決められた道を決められたように歩くということではなくて、自分自身でその道筋も、目標も決めなければならないということだ。
このように、人間にとって生きる意味が、あらかじめ決められていないことを、フランスの哲学者サルトルは「自由」と云った。
つまり、人間にとって生きることの「意味」「目的」が定められていないことこそが、「自由」の本質なのだ、とね。