太宰治「書簡」(河盛好蔵あて)

 文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)というルビをふること、大賛成。私は優という字を考えます。これは優れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう? 優しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏に、憂うると書いています。人を憂える、ひとの寂しさわびしさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間としていちばん優れていることじゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。私は含羞(はにかみ)で、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものも言えません。そんなところに「文化」の本質があると私は思います。「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、まけるものです、それでよいと思います。私は自身を「滅亡の民」だと思っています。まけてほろびて、そのつぶやきが、私たちの文学じゃないのかしらん。
 どうして人は、自分を「滅亡」だと言い切れないのかしらん。
 文学は、いつでも「平家物語」だと思います。わが身の世話なんて考えるやつは、ばかですねえ、おちぶれるだけじゃないですか。
(中略)
私を信頼していてください。そうして、信頼される作家は、十字架です。その覚悟もしています。

   ※太字は出典では傍点