太宰治「書簡」(井伏鱒二あて)

 幸福は一夜おくれて来る。
 おそろしきはおだてに乗らぬ男。飾らぬ女。雨のちまた。私の悪いとこは「現状よりも誇張して悲鳴あげる。」とある人申しました。苦悩高いほど尊いなどまちがいと存じます。私、着飾ることはございましたが、現状の悲惨誇張して、どうのこうの、そんなものじゃないと思います。プライドのために仕事したことございませぬ。だれかひとり幸福にしてあげたくて。
 私、世の中を、いや、四五の仲間をにぎやかにはでにするために、しし食ったふりをして、そうして、しし食ったむくい、苛烈のむくい受けています。食わないししのために。
 こんな紙を変えたりなど、こんなこと、必要から私行なったのに、「悲惨をてらう」など実例にされるのではないかしら。
 五年後、十年後、死後のことも思い、一言意識しながらのいつわり申したことございませぬ。
 ドンキホーテ。ふまれても、けられても、どこかに小さい、ささやかなやせた「青い鳥」いると、信じて、どうしても、傷ついた理想、捨てられませぬ。
(中略)
 信じてください。
 自殺して、『それくらいのことだったら、なんとかちょっと耳打ちしてくれたら、』という、あの残念のこしたくなく、そのちょっと耳打ちのことば、
 このごろの私のことばはすべてそのつもりなのでございます。