テネシー・ウィリアムズ「欲望と黒人マッサージ師」(志村正雄 訳)

どこに行くよりも映画を見ていると安心した。映画館の後部の列に腰をおろしているのが好きであった。そうすると、そっと暗闇に吸いこまれて、大きな、熱い息の口の中で溶けていく食物の一片のような気がする。映画は彼の心をやさしく、そよぐような舌でなめ、しずかに眠らせてくれんばかりである。そうだ、どんな大きな母犬がなめてくれたとしても、仕事のあとの映画ほど巧みになめ、甘美に休ませてくれるものはない。映画に行くと口あんぐりと開いて、唾がたまり、口の端からしたたり、全身が完全にくつろいで一日の苦労の痛みも、きつさも、消えてしまう。スクリーンの筋など追わずに、出て来る人間を見まもるのだ。その人間が何を言い、何をしたかなど、どうでもいい、その姿だけが問題なのだ。その姿を見ていると、まるで暗い映画館のすぐ隣席に寄りそって坐っているかのように心あたたまり、かん高い声の人物でないかぎり、みな例外なく彼は愛した。