2015-09-24から1日間の記事一覧

田村隆一「予感」

午後は不意に訪れる 彼は個人として椅子の底に押しこめられる 手はだらりと垂れさがって 世界は翳ってくる 世界の悩みが彼を一個人に追い込む 世界の悲しみが彼の両の眼を抉り出す その傷口のようにドアがひらかれて そのまま過去に通じてしまうような気がす…

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

でも、これはほんの束の間にすぎないことで、世界は、飢えた虎のように、外で待ちうけていること、苦しみは空よりもなお遠く、ぼくたちの頭上に拡がっていることに、ぼくは気づいていたのだ。

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

音楽についてぼくの知っていることといえば、真に音楽をきいている人はそう多くはいない、ということだけだ。心の内でなにかが開き、音楽が入りこんでくるまれな場合でさえも、ぼくたちが聞いているもの、あるいは聞くことによって確かめているもののおおか…

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

「ときどきね、それもほんとうにぼくが、世界のもっともそとにいるときなんだけど、ぼくは自分がその内にいること、ぼくがそれとともにいることを、真実感じたんだ、そしてぼくは演奏(プレイ)できた、あるいは演奏などする必要はほんとはなかったんだ、それ…

テネシー・ウィリアムズ「欲望と黒人マッサージ師」(志村正雄 訳)

いま三十歳になるというのに、さまざまな防護壁をこころみたおかげで、顔も体もまだ子供のように未完成なものが見え、上司の見ているまえでは子供のような行動をした。体をどう動かしても、どんな語調でしゃべっても、どんな表情をしても、なぜか生まれて来…

テネシー・ウィリアムズ「欲望と黒人マッサージ師」(志村正雄 訳)

どこに行くよりも映画を見ていると安心した。映画館の後部の列に腰をおろしているのが好きであった。そうすると、そっと暗闇に吸いこまれて、大きな、熱い息の口の中で溶けていく食物の一片のような気がする。映画は彼の心をやさしく、そよぐような舌でなめ…