高橋修「はじめに」(小森陽一 紅野謙介 高橋修 編『メディア・表象・イデオロギー――明治三十年代の文化研究』所収)

明治三十三年(一九〇〇年)には「精神病者監護法」が、その前年の三十二年には「北海道旧土人保護法」と、(同列にあげるのも憚られようが)「高等女学校令」が施行される。「精神病者監護法」は、「精神病者」を健常者から切り離し、国家の治安維持のためという名目で監視、監禁することを可能にした。また、「高等女学校令」においては、教育政策という形で女子を男子から決定的に差異化し、家庭への制度的な囲い込みが押しすすめられる。女子学生・少女の〈自画像〉は、いやがおうでも、こうしてもたらされた差異を拒否する、あるいは多くの場合それを受け容れることによって作り上げられることになるのである。いかに自発的に服従する主体に教導するか――まさに権力の問題がそこにはある。さらに「旧土人保護法」においては、異民族(アイヌ)を文明と隔たった野蛮人種としてあらかじめ位置づけ、それを同化させるという形で支配しながら、そうした排除と収奪を「保護」の名のもとに周到に隠蔽している。この時期に成立するツーリズムの想像力もこうした植民地主義的な眼差しと無縁ではない。単に〈均質化〉などということばでは語りえない、交通と切断が同時的に存在しているのである。そこに、ある〈中心〉が生み出されようとしていた。