吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』

「とにかく教師は生徒に向き合うべきだ」という考えには、子どもを「指導」してやろうという、プロを自認する教師の、ある種思いあがった気持ちがあります。そんなことをしなくても、毎日後ろ姿を見ているだけで、子どもはいい先生を見抜きます。自分の好きな先生を見つけて、勝手に影響を受けていくのです。
 それを、向き合って何かを伝えようとか、道徳的な影響を与えようとなどとするから、偽の厳粛さが生まれ、子どもに嫌な圧迫感を与えるのです。不登校が長引く原因も、こんなところにあるのではないでしょうか。
 学校というものが、もっと率直な空気の流れる場所になってくれないものかと思います。
 子どものほうも「それは噓なんじゃないか」ということを言ったほうがいい。教師や親は、自分が子どもだった時のことなんか、けろりと忘れてしまっていますから。
 教室にあった「偽の厳粛さ」に、子どもたちはその後の人生のあらゆるところで遭遇することになります。ぼくなどは、それが日本の社会の諸悪の根源なのではないかと思うことがあります。