高良武久「森田正馬『対人恐怖の治し方』解説」

 捉われは無理な完全欲から起こりやすい。常に最上のコンディションを持っていなければならぬものと心得るから、常に何か心身の不都合なところを問題にして、それに捉われる。勉強する時は頭脳がいつも明瞭で、雑念もなく、倦怠感もない状態でなければならぬとか、床につけばいつも直ちに熟睡すべきものであるとか、余計な心配は一切すべきでないとか、必要なことは一切忘れてはならぬとかいうように念ずる。しかし実際にはわれわれの心身の状態は、常に変化流動しているもので、気分もよかったり悪かったり、天気のように変わるのが普通であるから、完全なコンディションを保たなければならぬと心得る人は、常に現実に裏切られて、かえって誰にもある普通のことを、何か病的なこと、自分だけの特別なことのように考え違いをして、頭重感に捉われたり、記憶不良に悩んだり、不眠恐怖雑念恐怖にとりつかれたりするのである。対人恐怖の場合も同じことで、人に逢って、少しも気後れしないように、固くならぬように、圧迫感を受けないように念ずるから、事実に裏切られて、いよいよ症状を強く感ずるのである。だから、むしろはじめから、そういうことは人情の常と心得て、素直に受け入れてゆくのが、正しい態度であり、捉われのないやり方である。