森田正馬『対人恐怖の治し方』

……死にたい、と思う心は、生の欲の激甚な結果である。自己身心の安楽を得るために神を信ずるものは、信仰に似て、邪欲である。人生を、理屈や思想で解決しようとするのは誤解である。これを解決するものは事実である。食欲がなければ生命はないが、食欲にあこがれ、食道楽に浮き身をやつせば、その結果は人生の堕落に終る。知識欲、思想欲、解決欲、詩情欲、これらがなければ、高尚な人生はない。しかしこれをもって人生を解決するものと執着し、あこがれ、かぶれ、飜弄される時は、ついに空想の極(きわみ)に行きつまって、禅のいわゆる繫驢桔(けろけつ)(つまらないことに心が縛られること)に終り、華厳の滝に帰着しなければならない。これを解決するものは事実である。君は身心ともに何事でも一人前できる。人生は、詩人が直ちに詩ではない。宗教家が、直ちに信仰ではない。実業にも科学にも、詩もあれば信仰もある。詩も信仰も、主観的なものである。生活そのものが詩であり、信仰でありたいものである。