ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

 アア、いまは来るなら、来るがいい、どんなつらでも! イヤ、おれは、おまえらとは、別れはしない――見ず知らずの他人の縁もゆかりもないつら――おれのこの告白を読むかもしれない見知らぬやつらのつらつら――ようこそ、ようこそ――肉体の部分部分の魅力にとんだ寄せ集め、ここまで来たらもう盛大にやるがいい――来い、来い、おれのところへ来るがいい、おれのつらならまたいくらでももみくしゃにしてくれ、また新しいつらを付けてくれ、おまえらの前からほかの人間たちのうちにまたもやおれが逃げていかねばならなくなるよう、そして、人間という人間のあいだを走って、走って、走りつづけなければならなくなるよう。なぜなら、つらから逃げるには、ほかのつらのなかに逃げこむよりほか、逃げる道はないからだ。人の前から隠れるには、ただ一つ、ほかの人間の抱擁のうちに隠れるよりほか、隠れるところはないからだ。しかし、おちりの前からは、もうこんりんざい絶対どこにも逃げられない。もしも追ってくるというなら、追ってくればいい。おれは、やっぱり逃げてゆく、両手につらをかかえたまま。


   あばよ、ちばよ、あかんべえ、
   読んだやつのあほうづら!
                       W・G(ヴー・ゲー)

   ※太字は出典では傍点