ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

 それに、まだまだ、とりあげだせば切りもない。地主と地主夫人の判断、女学生の判断、小官吏の視野のせまい判断、高級官吏の官僚的な判断、いなか弁護士の判断、中学生の誇大な判断、老人のふんぞりかえった傲岸な判断、待った、社会評論家の判断、社会活動家の判断、そして、医者の奥さんれんの判断、さては、両親の判断に従属している子供の判断、小間使いの判断、若い衆の判断、料理女の判断、女のいとこたちの判断、女子学生の判断――もうまったく判断の洪水だ。この無数の判断のおのおのがもう一人のべつの人間のうちできみという人間を規定し、その心のうちにきみというもののイメージを作りあげる。まるでもう千にもあまる人間のせま苦しい魂のうちに、きみが生まれでもしたようではないか!