2015-06-12から1日間の記事一覧

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

まるで貯金局に預金でもするように、幾世紀にもわたる古い文化体系をなかに立て安全確実に自己を生かしきること――これこそ自分にとっての満足でもあり、他人にとっての満足でもあるにちがいない。しかし、おれはあいにく青二才で、青くささがおれの唯一の文…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

まったくもう、どこやらの単純な人間がきみのことを単純だと思っているから、きみは単純だということになるので、馬鹿がばか呼ばわりするからこそ、きみは馬鹿にならざるをえなくなる――未成熟な手合いがその青くささにきみをひきずりこみ、青くさい汁にどっ…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

まったくもって、精神世界では絶えまない力ずくの凌辱が行なわれている。われわれは一人で生きているのではない。われわれは他人の機能でしかありはしない。どんなにふんばっても、われわれは他人が見ているようなそういうものとして、存在するほかないわけ…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

こういうわけで、おれはある者にとっては賢明な人間、べつの者には愚鈍な人間なのだった。ある者から見ると、ひとかどの人物、べつの者から見ると、目にもとまらぬような存在、一人の者にとっては平民的、もう一人の者にとっては貴族的に見えたというわけだ…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

それに、まだまだ、とりあげだせば切りもない。地主と地主夫人の判断、女学生の判断、小官吏の視野のせまい判断、高級官吏の官僚的な判断、いなか弁護士の判断、中学生の誇大な判断、老人のふんぞりかえった傲岸な判断、待った、社会評論家の判断、社会活動…