ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

こういうわけで、おれはある者にとっては賢明な人間、べつの者には愚鈍な人間なのだった。ある者から見ると、ひとかどの人物、べつの者から見ると、目にもとまらぬような存在、一人の者にとっては平民的、もう一人の者にとっては貴族的に見えたというわけだ。優等と劣等のあいだに分裂し、それとこれとのどちらにも等分になれしたしみ、真面目に重々しくどっしり構えてもいれば、軽くあしらわれもし、すばらしくもあれば、みじめでもあり、また、才能もあれば、無能でもあり、なにもかもなりゆき次第、まったく、状況ひとつというていたらく! おれの生活は、そのときから、静かな家の片隅で過ごしていた昔より、なおのことはなはだしく分裂することとなったのだ。自分がだれのものか、自分の値打を認めてくれる人たちのものか、それとも、いっさい認めようとせぬ人びとのものか、まるでおれには分からないのだった。