パヴェーゼ『月とかがり火』(米川良夫 訳)

 こうしたモーラのいっさいのこと、あのわたしたちの生活――そのうちの何が今も残っているのだろう? あの長い年月のあいだ、わたしには夕暮れの菩提樹の梢を渡る風だけでじゅうぶんだった。それだけでわたしは自分が別な人間になったように感じ、ほんとうのわたしがそこにあると感じていた。しかもその理由(わけ)すらはっきりわかっていたのでもなかった。今もつねにわたしが思いめぐらすことは、この谷に、またこの世界に、あのころわたしたちがめぐり合わせたと同じ生活を今また同じように生きている人たちがどれほどいるのだろうか、ということなのだ。そんなことは、彼らにはわかっていない。そんなことは考えてもいない。おそらくは、家があり、娘たちがいて、老人がいて、童女が一人――そしてヌート、カネッリ、駅があり、わたしのように出て行って運をつかんで来ようという人間がいる――夏には麦を打ち、ぶどうを収穫し、冬には猟に行き、露台(テラス)がある――いっさいはわたしたちのようになっている。どうしても、こうなるに違いない。若者たちも、女たちも、世界も変っていない。もう日傘をさしては歩かない。日曜日には祭ではなく映画に行く。小麦は倉庫に集め、娘たちはタバコを吸う――それでも生きることは同じなのだ。いつかは自分の周囲を見まわすようになり、彼らにとってもいっさいは過去のものとなるだろうということが、彼らにはわからないのだ。戦争で家々の壊されたジェノヴァの街におり立ったとき、最初にわたしが思ったことは、これらの家や中庭や露台の一つ一つがだれかにとっては何かの意味をもつのだったのだろう、ということだった。そしてこの物質的な損害や死んで行った人たちのことよりも、人々が生きたこの長い歳月、このかずかずの想い出が一夜のうちにこうしてその痕一つ残さずに消えてしまったことのほうが、ひとしお残念に思われるのだった。あるいは、そうではないのだろうか? むしろ、このほうがよいのかもしれない。何もかも、枯れ草をたくかがり火とともに燃えてなくなり、初めからやり直すほうが、よいのかもしれない。アメリカではそうだった――何か一つのこと、一つの仕事、一つの職場がいやになったら、変えてしまうのだった。むこうでは、宿屋も役場も商店もいっしょに村全体が、まるで墓場のようにひっそりと、からっぽになってしまったところまであるのだ。