パヴェーゼ『月とかがり火』(米川良夫 訳)

 今になって、わたしにもわかるのだった――なぜ道ばたの自動車のなか、あるいは部屋のなかで、またあるいは裏路地で、ときどき若い女がしめ殺されているのか? 彼らも――その男たちも、草の上に身を投げ出したい、蛙たちと心を通わせたい、女一人の身の丈ほどのわずかな土地を所有したい、そこでほんとうに、なんの不安もなしに眠ってみたいと思ったのではないだろうか? しかもこの国は広く、だれにでも分け前はあった。女あり、土地あり、金もあった。しかしだれ一人、じゅうぶんにもっているものはなく、だれもが、もっているわりには休むこともできずに働いていた。そして畠は、ぶどう畠でさえもが駅の花壇のような花壇をそえて、まるで公園のようだったし、さもなければ荒地のままの砂漠か岩山だった。あきらめて腰をおちつけたくても、みなにむかって「とにかく、わたしたちは知り合いだ。とにかく、わたしをここに住まわせてくれ」と言えるような人里がないのだ。わたしたちを不安にするのはそのことだった。あの山脈を横断して来るときに、道を曲るたびに感じることは、いまだかつてだれ一人ここに住みついたものがいない、だれ一人この山をその手にふれて行ったものがいない、ということだった。だから酔っぱらいは踏みつけられ、ぶちこまれ、そして半死半生のていでほうり出される。酔っぱらいだけではなかった。身もちの悪い女もいた。こうしてある日、だれかが何かにさわってみたくて、自分の存在を知らせてみたくて、女をしめ殺す、寝ているところにピストルを発射する、その頭にスパナをうちおろすという事件が起るのだった。