黒井千次「時間」

 ――火をとめておいた方がよくはないか。
 ビールのコップを持った中腰の浅井が彼の横にいた。昔のままの、浅黒い、頬骨の張った小柄な顔だった。卒業してから分厚い肉を身体につけていない数少ない顔の一つだ。このまま背広を学生服かスエターに替え、靴下をとった指の長い足にゴム草履をはかせたならば、浅井の姿は今学生自治会の部屋から出て来ても少しもおかしくはない。彼は、浅井の中に流れた時間を思った。長く自治委員や執行委員を歴任した割には、浅井はいつも目立たない存在だった。その頃のまま、浅井は今、ひっそりと彼の横に在った。
 ――何している。
 彼は自分の声も低く柔らかくなっていることに気づく。
 ――前と同じ経理だが、今度コンピューターを入れることになってな、そちらの方をやらされておる。