辻邦生「嵯峨野明月記」

 一の声 私はもうすでに十分生きながらえてきたように思う。いまは残る歳月をお前たちのために役立てたいと思うばかりだ。私にはかつてのような体力もなく、お前たちや職人一統を率いてゆく気力もない。私がここを経営してすでに二十年。はじめて家の土台が置かれた日、村の入口に植えた松と梅が、いまでは見事な枝ぶりで私たちの往還を飾っている。この二十年のあいだですら、私は家業に励み、多くの手すさびをたのしみ、お前たち一族が行く末ながく安泰に暮しうるだけの家屋敷も保ちえたように思う。家父より譲られたものに、それは何ほどの寄与もしなかったであろうが、しかし私らが我執を去り、家業を専一と心がけ、簡潔清貧を旨とすれば、それだけでも心豊かに寛いだ生活が十分にできるはずである。だからいま私がお前らに残しうるものといっては、ながい生涯のあいだに見聞したさまざまの物語、珍しい出来事、心ひかれる人物、移りかわる世のさまを、ありのままに語ってゆき、お前たちがそこから自らの思慮と行いの指針となるべきものを引きだしうるようにしてやることくらいである。