谷崎潤一郎「蘆刈」

 まだをかもとに住んでゐたじぶんのあるとしの九月のことであつた。あまり天気のいゝ日だつたので、ゆふこく、といつても三時すこし過ぎたころからふとおもひたつてそこらを歩いて来たくなつた。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知つてしまつたしどこぞ二三時間で行つてこられる恰好な散策地でわれもひともちよつと考へつかないやうなわすれられた場所はないものかとしあんしたすゑにいつからかいちど水無瀬の宮へ行つてみようと思ひながらついをりがなくてすごしてゐたことにこゝろづいた。その水無瀬の宮といふのは増かゞみの「おどろのした」に、「鳥羽殿白河殿なども修理(すり)せさせ給ひて常にわたりすませ給へど猶又水無瀬といふ所にえもいはずおもしろき院づくりしてしば/\通ひおはしましつゝ春秋の花もみぢにつけても御心ゆくかぎり世をひゞかしてあそびをのみぞしたまふ。