谷崎潤一郎「痴人の愛」

 私は此れから、あまり世間に類例がないだらうと思はれる私たち夫婦の間柄に就て、出来るだけ正直に、ざつくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思ひます。それは私自身に取つて忘れがたない貴い記録であると同時に、恐らくは読者諸君に取つても、きつと何かの参考資料となるに違ひない。殊に此の頃のやうに日本もだんだん国際的に顔が広くなつて来て、内地人と外国人とが盛んに交際する、いろんな主義やら思想やらが這入つて来る、男は勿論女もどしどしハイカラになる、と云ふ様な時勢になつて来ると、今まではあまり類例のなかつた私たちの如き夫婦関係も、追ひ追ひ諸方に生じるだらうと思はれますから。
 考へて見ると、私たち夫婦は既にその成り立ちから変つてゐました。私が始めて現在の私の妻に会つたのは、ちやうど足かけ八年前のことになります。

   ※太字は出典では傍点