安西冬衛「理髪師」

 私は鏡の中にきちんと蔵はれてゐる、白い敷布(シーツ)の壮烈な玉座に。だが、親方は一向そんな「悲壮」には同情を持合せて呉れない風である。だから、私を昆虫の標本のように、硝子の額縁の中へピンでぐつと刺留ると、もう逃げ出す気遣はないといふ了見でこんどは殺人(ひとごろし)のでてゐる新聞をゴワゴワさせてゐる男のところへいつて、ちよいと一ぷくにする。
 『初さん、ゆふべはねえ――』


 どういふものかあすこでは、話といふとゆうべのつづきのやうである。