丸谷才一「英雄色を好む」

 わたしは概して「歴史にイフはない」といふ考へ方に反対したいたちの人間でして、すくなくとも「イフ」をすこしは考慮に入れるほうが歴史はよくわかる、と思つてゐます。しかし、「歴史にイフはない」といふのは歴史の展開が個人の恣意とかそれとも偶然のいたづらよりももつと格が上の、時代の流れとか社会の構造とかによつて決るもの、と思ふせいなんですね。そしてたいていの歴史的事件は、幸か不幸か(この言ひ方をかしいかしら)、さういふ史的決定論的な理屈のつけ方がかなり可能である。ところがこの朝鮮侵略の場合は、時代の流れとか社会の構造とかによつてはどうも説明しにくい。そのことは先程引いた三人の学者の説で推定できるでせう。そこで、単なる個人の妄想とか、あるいはもつとはつきり言つてボケとかが原因だと思ひたくなる。若年のころは単なる放言であつたものが、老いて権力を握ると、もう現実的条件による歯止めがかからなくなつた、と思ひたくなる。そのほうがすつきりする。困るんですね、これは。歴史家が一老人の妄想とつきあはなくちやならなくなるわけで、そして普通の歴史学にはかういふときの対応策はどうもないらしい。いや、歴史小説作法にも対応策はないんぢやないかな。小生不学にして、あの戦争を叙述して成功した歴史小説のあることを知らない。