山本夏彦「何用あって月世界へ」

「何用あって月世界へ――月はながめるものである」という文章を、かねがね私は書きたいと思っていた。
 そこで、こうして書いてみた。
「何用あって月世界へ」
 これは題である。
「月はながめるものである」
 これは副題である。
 そしたら、もうなんにも言うことがないのに気がついた。これだけで、分る人には分る。分らぬ人には、千万言を費やしても分らぬと気がついたのである。
 それでも西洋人なら、千万言を費やすだろう。幸か不幸か、私は日本人で、このごろいよいよ日本人である。
 何度も言うが、私は自動車を認めていない。ラジオもテレビも認めていない。あんなもの、なくてもいいものである。あっても人類の福祉とは何の関係もないものである。
 十なん年前までテレビはなかった。なかった当時の我々の生活は貧弱だったか。痛くもかゆくもなかったと言えば、分る人には分るだろう。ただ、出来てしまったものは、それがなかった昔には返らない。それは承知している。
 けれども、これではあんまりだと承知しない人もあるだろう。だから同じことを、再び三たび言うことを許していただきたい。
 〔中略〕
 アポロは月に着陸したという。勝手に着陸し、次いで他の星へも行くがいい。神々のすることを人間がすれば、必ずばちがあたると言っても、分りたくないものは分るまいが、わずかに望みをつないで、かさねて言う。
 何用あって月世界へ?――月はながめるものである。