北杜夫『どくとるマンボウ航海記』

 夜、十一時に出航の予定だが、それまでは閑である。サード・オフィサー達は大使館のレセプションに行っており、この土地では夜一人で賭博場へ乗りこむ気もしないし金ももうあまりない。ただ本場のカレーだけは食べておこうと思って、ニホンホテルへ出かけた。
「カリー」と頼むと「チキン?」と言うからうなずいて、さて運ばれてきた料理を見ると、皿の真中に鶏の腿肉(ももにく)がのり、それに赤っぽい汁がたっぷりかかっている。日本のカレーの概念より、完全にトウガラシの赤い色なのである。そのほか別皿にたっぷりボロボロした飯が盛ってある。なにほどのことやあらんと一口すすってみて驚いた。舌が曲りそうなのである。
 しかし私は生れつき辛いものが好きなので、このくらいなことで参るものかと、なお幾口か食べた。すると口中が火のごとく燃えてきた。私は天井までとびあがりたかったが、さあらぬ態で、ビールを命じ水の代りを命じた。それらを交互に飲むとやや落着いてきたので、更にカレーを口に運んだ。そのたびに口中はヨウコウロのごとくなり、天井までとびあがらぬため椅子にしがみつき、ビールと水でウガイをしては断末魔の吐息をついた。