山本夏彦「株式会社亡国論」

 つかぬことを言うようだが、私は永年日本語を日本語に翻訳している。翻訳はもと外国語を日本語に移すことを言ったが、私は日本語を日本語に移すのである。
 たとえば、いくら資本金が多くても、それが不動産会社なら「千三つ屋」と訳す。証券会社なら「株屋」と訳す。
 私は翻訳は批評だと心得ている。土地家屋の周旋人のことを、戦前は「千三つ屋」と呼んだ。千に三つ、まとまるかどうか分らない、あてにならぬ商売だから、世間は正業とみとめなかった。だから、業者の数も少なかった。
 それがなん千なん万とふえたのは、戦災による住宅難のせいである。彼らは不動産業者という歴(れっき)とした名を名乗って、店舗もあり免許も持っているが、その実態はご存じの通りである。
 証券会社には、何度か全盛時代があった。これからもあるだろう。株に浮沈はつきもので、だから昔は堅気なら手を出さなかった。財産として所有することはあったが、朝(あした)に買って夕(ゆうべ)に売ることはなかった。あれば、それを商売にする「株屋」である。
 株屋なら一夜にして成金にもなろうし、乞食にもなろう。それは覚悟の上で、店を支えきれなくなれば、これまた夜逃げするか首をくくった。「助けてくれ」と国にすがるとは、株屋の風上にもおけぬと、戦前なら笑われた。今は笑わないが、第三者なら笑ってもよかろう。アハハハ――誰も笑わないから、ひとり私は笑わせて貰う。
 近代的な証券会社は、昔日の株屋ではないと、山一以外の大会社なら言うだろう。けれども、その幹部諸君は株屋出身である。出身でないまでも、株屋の血はまだ脈々と流れている。それがなくならない限り、私は翻訳することをやめない。
 山一が倒産すれば、他も倒れ、ひいては銀行まで危いから政府はやむなく助けたのだろう。山一はそれを頼みに政府にすがった。すがったというより迫った。それなら脅迫である。
 証券会社全盛のころは、わが翻訳は常にイヤな顔で迎えられた。彼らが馬脚をあらわして以来、イヤな顔をされること少なくなった。いつまたどうなるか知れたものではないが、しばらく晴れて株屋、また千三つ屋と翻訳できることは、私の欣快とするところである。