夏目漱石「私の個人主義」

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるといふより新らしく建設する為に、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいふと、自己本位といふ四字を漸く考へて、其(その)自己本位を立証する為に、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。今は時勢が違ひますから、此辺(このへん)の事は多少頭のある人には能く解せられてゐる筈ですが、其頃は私が幼稚な上に、世間がまだそれ程進んでゐなかつたので、私の遣り方は実際已(やむ)を得なかつたのです。
 私は此(この)自己本位といふ言葉を自分の手に握つてから大変強くなりました。彼等何者ぞやと気慨が出ました。今迄茫然と自失してゐた私に、此所(ここ)に立つて、この道から斯(こ)う行かなければならないと指図をして呉れたものは実に此(この)自我本位の四字なのであります。
 自白すれば私は其(その)四字から新たに出立したのであります。さうして今の様にただ人の尻馬にばかり乗つて空騒ぎをしてゐるやうでは甚だ心元ない事だから、さう西洋人振らないでも好いといふ動かすべからざる理由を立派に彼等の前に投げ出して見たら、自分も嘸(さぞ)愉快だらう、人も嘸喜ぶだらうと思つて、著書其他の手段によつて、それを成就するのを私の生涯の事業としやうと考へたのです。
 其時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもつて陰鬱な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果漸く自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたやうな気がしたのです。猶繰り返していふと、今迄霧の中に閉ぢ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教へられた事になるのです。