西郷隆盛『西郷南洲遺訓』

 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功(きょくごう)は「意母(な)シ必母シ固母シ我母シ論語 と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人其事(そのこと)大抵十に七八迄は能く成し得れ共(ども)、残り二つを終る迄成し得る人の希(ま)れなるは、始(はじめ)は能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あらわ)るるなり。功立ち名顕るるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼戒慎(きょうくかいしん)の意弛(ゆる)み、驕矜(きょうきょう)の気漸(ようや)く長じ、其(その)成し得たる事業を負(たの)み、苟も我が事を仕遂(しとげ)んとてまづき仕事に陥いり、終(つい)に敗るるものにて、皆な自ら招く也。故に己れに克ちて、賭(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。

   ※太字は出典では訓読文