三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』

 そのうち上野の夜の八ツの鐘がボーンと忍ケ岡の池に響き、向ケ岡の清水の流れる音がそよそよと聞こえ、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞(せきばく)、世間がしんとすると、いつもに変わらず根津の清水(しみず)の下(もと)から駒下駄の音高くカランコロンカランコロンとするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額からあごへかけて膏汗(あぶらあせ)を流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経(うほうだらにきょう)を読誦(どくじゅ)していると、駒下駄の音が生垣の元でぱったり止みましたから、新三郎は止せばいいに念仏を唱えながら蚊帳を出て、そっと戸の節穴から覗いて見ると、いつもの通り牡丹花の燈籠を下げて米(よね)が先へ立ち、後には髪を文金の高髷(たかまげ)に結い上げ、秋草色染の振袖に燃えるような緋縮緬長襦袢、その綺麗なこと云うばかりもなく、綺麗ほどなお怖く、これが幽霊かと思えば、萩原はこの世からなる焼熱地獄に墜ちたる苦しみです。萩原の家は四方八方にお札が貼ってあるので、二人の幽霊が臆して後へ下がり、
「嬢様とても入れません。萩原様はお心変わりがあそばしまして、昨晩のお言葉と違い、あなたを入れないように戸締りがつきましたから、とても入ることはできませんから、お諦めあそばしませ。心の変わった男はとても入れる気遣いはありません。心の腐った男はお諦めあそばせ。」
 と慰むれば、
「あれほどまでにお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするとは、男の心と秋の空、かわりはてたる萩原様のお心が情けない。米や、どうぞ萩原様に逢わせておくれ。逢せてくれなければわたくしは帰らないよ。」
 と振袖を顔にあてて、さめざめと泣く様子は、美しくもありまた物凄くもあるから、新三郎は何も云わず、ただ、
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。」
「お嬢様、あなたがこれほどまでに慕うのに、萩原様にゃアあんまりなお方ではございませんか。もしや裏口から入れないものでもありますまい。いらっしゃい。」
 と手を取って裏口へ廻ったがやはり入られません。