鈴木牧之「雪吹(ふぶき)」『北越雪譜』より

 美佐嶋(みさしま)といふ原中に到(いたり)し時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲(くろくも)空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(をつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹(ふぶき)ならんいかがはせんと踉蹡(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、飇(つぢかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峯に登(のぼる)がごとし。朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の鎗(やり)、凍雪(とうせつ)は身を射(いる)の箭(や)也。夫(をつと)は蓑笠を吹(ふき)とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也、裾へも雪を吹いれ、全身凍(こごえ)呼吸迫り半身は已に雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦(ふうふ)声をあげほういほういと哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきき)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく手足凍(こごへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しし)けり。此(この)雪吹(ふぶき)其日(そのひ)の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村(きんそん)の者四五人此所(このところ)を通りかかりしに、かの死骸(しがい)は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども赤子(あかご)の啼声(なくこゑ)を雪の中にききければ、人々大(おほい)に怪(あやし)みおそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を掘(ほり)てみるに、まづ女の髪の毛雪中(せつちゆう)に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日(きのふ)の雪吹(ふぶき)倒(たふ)れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を掘(ほり)、死骸を見るに夫婦(ふうふ)手を引(ひき)あひて死居(ししゐ)たり。児(こ)は母の懐(ふところ)にあり、母の袖児(こ)の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや凍死(こごえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又(また)声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(みしり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦(ふうふ)手をはなさずして死(しし)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑につつみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦(ふうふ)娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひをりしに、死骸を見て一言(ひとこと)の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声(おおこゑ)をあげて啼(なき)けるは、見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐(ふところ)より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行(りやうこう)の涙をおとしけるとぞ。
 雪吹の人を殺す事大方(おほかた)右に類す。暖地(だんち)の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞する雪吹と其(その)異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪濤(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。雪国の難義(なんぎ)暖地の人おもひはかるべし。