佐藤文隆「中国の天文」

 太陽や月、それに夜空を彩る星も身近な自然の一部を構成する。ただし野山の自然などと違って五感にはあまりインパクトの大きいものではない。もちろん太陽は強烈だが変化がないので機械仕掛けのイメージである。夜空には微かではあるが季節による星座の変化がある。しかし意識して学ばねば気づかない変化である。われわれが毎日関わっているのは太陽や夜空の見え方を決めている気象の方である。しかし、西洋でも東洋でも天文は暦と政(まつりごと)の形而上学として、医学と並ぶ古い実学である。このため天文については中国からの輸入学問が始めから支配していた領域であった。そのためか、それともあまりにも微かで変化に富まないものであったためか、純国産の天文についての言葉はあまりない。言葉の数は興味の持ち方の程度を表す。また外来文化に憧れた古代に天文は形而上学としての役割をもたされて輸入されたため、自然愛の対象ではなかったのかも知れない。
 中国での天文学は、地上での異変のメッセージを予め読みとるためのものであった。このため天の異変の記録が綿密に残されている。それに対して西洋では、天は普遍を象徴するものであったから規則正しいあり方が精密に測られ、それを乱す異変は天上の現象ではないとして無視される傾向にあった。精密な規則性の測定が円軌道と楕円軌道の区別などを見つけ、ニュートンの力学と重力論まで向かうデータを用意した。それに対して中国の異変のデータはこのためには寄与しなかったが、新星や超新星の爆発の年代を知る貴重なデータとして、現代の宇宙物理に役立っている。学問的には完全に中国流な視点においてではあるが、藤原定家の『明月記』という日記に新星の記述がある。現代天文学が観測する星雲の多くは超新星爆発で生じたものである。