多田富雄「人権と遺伝子」

「人権」というのを辞書で引くと、「人間が生まれながらにして持っている固有の権利、変更することも侵すこともできないもの」というような定義が出てくる。「生まれながらに」とか、「変更不可能で固有の」とか言われると、私のように医学生物学の研究をしている者には、まず「遺伝子」が思い浮かぶ。
 人間の人間たる姿は、まず遺伝子によって決定される。人間がサルでもイヌでもないのは、遺伝子が違うからである。人間からは人間が生まれ、ニワトリの卵からは人間は生まれない。サルもニワトリもイヌも、それぞれ固有の遺伝子群を持っている。
 それぞれの種を決定している遺伝子の集合体(全体)を、ゲノムという名前で呼んでいる。人間のゲノムの中には、約十万個ていどの遺伝子が含まれている。それぞれの遺伝子が一定の部位で、一定の順序で働き出すことによって、たった一種類の受精卵から眼や口や内臓などを持った複雑な人間の体が作り出される。
 遺伝子の総体としてのゲノムは、それぞれの種に属する個体全員に共通に備わっており、それを変更することはできない。人間が人間の形をしているのは、この共通のゲノムの産物だからだ。これをゲノムの普遍性という。
 普遍的なゲノムの構成は、人間であったら全員みな同じ、白人も黒人も黄色人種もちっとも変わらない。いまから五十万年ぐらい前に私たち現生人類の先祖がアフリカで生まれて以来、全く変っていないのだ。それを知れば、いかなる人種差別もなんの意味も持たないことが納得される。
 しかし一方では、人間は一人ひとり少しずつ違う。背の高い人も低い人もいる。女と男。髪の多い人、薄い人。遺伝的な障害を持っている人、外見上は持っていない人。人間の持つさまざまな多様な性質も、遺伝子によって決定されている。こうした一人ひとりのわずかな差をゲノムの個別性という。
 ゲノムの普遍性も個別性も、それぞれの人間が生まれながらにして持っている。変更することも侵すこともできない性質である。色が黒かろうと白かろうと、背が高かろうと低かろうと、たとえ障害を持っていようと、人間固有のゲノムの産物なのだから差別することはできない。だいたい表面に現われないような遺伝子の異常などは、誰でも必ずいくつかは持っている。それを差別することは、自分が人間であることを否定することになる。
 こうしたゲノムの普遍性と個別性の両方が、私たち人間を人間たらしめているのである。人権というのも、人間という普遍的な性質と同時に、一人ひとりの持つ固有の性格や特徴を認めることによって初めて成立するものである。現代の生命科学は、改めて遺伝子の側から人権を理解する道を開いているのではないだろうか。