永井荷風『すみだ川』

 残暑の夕日が一しきり夏の盛(さかり)よりも烈しく、ひろびろした河面(かはづら)一帯に燃え立ち、殊更に大学の艇庫の真白なペンキ塗の板目(はめ)に反映してゐたが、忽ち燈(ともしび)の光の消えて行くやうにあたりは全体に薄暗く灰色に変色して来て、満ち来る夕汐(ゆうしお)の上を滑つて行く荷船の帆のみが真白く際立つた。と見る間もなく初秋の黄昏は幕の下(おり)るやうに早く夜に変つた。流れる水がいやに眩しくきらきら光り出して、渡船(わたしぶね)に乗つて居る人の形をくつきりと墨絵のやうに黒く染め出した。堤の上に長く横(よこた)はる葉桜の木立の此方(こなた)の岸から望めば恐しいほど真暗になり、一時は面白いやうに引きつづいて動いてゐた荷船はいつの間にか一艘残らず上流の方に消えてしまつて、釣の帰りらしい小舟がところどころ木の葉のやうに浮いてゐるばかり、見渡す隅田川は再びひろびろとしたばかりか静(しづか)に淋しくなつた。遥か川上の空のはづれに夏の名残を示す雲の峰が立つてゐて細い稲妻が絶間なく閃めいては消える。
 長吉は先刻(さつき)から一人ぼんやりして、或時は今戸橋(いまどばし)の欄干に凭(もた)れたり、或時は岸の石垣から渡場(わたしば)の桟橋へ下りて見たりして、夕日から黄昏、黄昏から夜になる河の景色を眺めて居た。今夜暗くなつて人の顔がよくは見えない時分になつたら今戸橋の上でお糸と逢ふ約束をしたからである。然し丁度日曜日に当つて夜学校を口実にも出来ない処から夕飯(ゆふめし)を済すが否やまだ日の落ちぬ中(うち)ふいと家(うち)を出てしまつた。一しきり渡場へ急ぐ人の往来(ゆきき)も今では殆ど絶え、橋の下に夜泊(よどま)りする荷船の燈火(ともしび)が慶養寺の高い木立を倒(さかさ)に映した山谷堀(さんやぼり)の水に美しく流れた。門口に柳のある新しい二階家からは三味線が聞えて、水に添ふ低い小家(こいへ)の格子戸外(そと)には裸体(はだか)の亭主が凉みに出はじめた。長吉はもう来る時分であらうと思つて一心に橋向うを眺めた。