樋口一葉「たけくらべ」

龍華寺(りうげじ)の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水(みづ)の谷(や)の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、縄とびの遊びに興をそへて長き日の暮るるを忘れし、その折の事とや、信如いかにしたるか平常(へいぜい)の沈着に似ず、池のほとりの松が根につまづきて赤土道(あかつちみち)に手をつきたれば、羽織の袂も泥に成りて見にくかりしを、居あはせたる美登利みかねて我が紅(くれなゐ)の絹はんけちを取出(とりいだ)し、これにてお拭きなされと介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬(やきもち)や見つけて、藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しさうに礼を言つたは可笑しいでは無いか、大方(おおかた)美登利さんは藤本の女房(かみさん)になるのであらう、お寺の女房なら大黒さまと言ふのだなどと取沙汰(とりさた)しける、信如元来かかる事を人の上に聞くも嫌ひにて、苦き顔して横を向く質(たち)なれば、我が事として我慢のなるべきや、それよりは美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと胸の中もやくやして、何とも言はれぬ厭やな気持なり、さりながら事ごとに怒りつける訳にもゆかねば、なるだけは知らぬ躰(てい)をして、平気をつくりて、むづかしき顔をして遣り過ぎる心なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の当惑さ、大方は知りませぬの一ト言(こと)にて済ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまらねば、最初は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、学校退(ひ)けての帰りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これ此様(こんな)うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が届きましよ、後生(ごせう)折つて下されと一むれの中にては年長(としかさ)なるを見かけて頼めば、流石に信如袖ふり切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよいよ愁(つ)らければ、手近の枝を引寄せて好悪(よしあし)かまはず申訳ばかりに折りて、投(なげ)つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘(あき)れし事も有(あり)しが、度(たび)かさなりての末には自(おのづか)ら故意(わざと)の意地悪のやうに思はれて、人にはさもなきに我れにばかり愁らき処為(しうち)をみせ、物を問へば碌な返事した事なく、傍へゆけば逃げる、はなしを為(す)れば怒る、陰気らしい気のつまる、どうして好いやら機嫌の取りやうも無い、彼(あ)のやうな六(む)づかしやは思ひのままに捻(ひね)れて怒つて意地わるが為(し)たいならんに、友達と思はずは口を利くも入(い)らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此処には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。