吉田健一「英国の落ち着きということ」

 英国に行っても、椅子も卓子もあり、形は少し違っているがバスも汽車も走っていて、わざわざそんなものを見に英国まで行かなくてもよさそうなものであるが、大して日本と変らないようでいてやはり違っていることの中に、一種の日本では求め難い落ち着きがある。そこがどうも簡単には説明しにくい所なので、ロンドンの喫茶店は大体東京のと同じであっても、ロンドンの喫茶店は確かにロンドンの喫茶店であって、それ以外の何ものでもない。と言っても、それがどういうことなのかは結局は自分で行ってみなければ解らない。ストランドからトラファルガア・スクエアの方に、或いはセント・ポオル寺院の方に歩いて行くことは、その街をその方に歩いて行くことなので、少なくとも、道路が修繕の為に始終掘り返されていたり、店の構えが半年毎に作り変えられて自分がどこにいるのか解らなくなったりすることはないと書けば、少しは実情を伝えることになるだろうか。
 しかし、それでは単に変化がないという意味にとられるかもしれないし、英国も人間が多勢(たぜい)集まっている所なのだから絶えず変化はしていて、都市の郊外が田園地帯に向って発展していき、この分では、田園地帯というものがなくなってしまうとか、ジェット機が煩(うる)さいとか言われている。それ故にむしろ、ジェット機を煩さく思うとか、田舎の景色の将来を心配してかけ声だけでなしに、そういう問題とまともに取り組むだけの余裕があり、それが田舎の景色にも、ジェット機の音にまでも反映されているとでも説明すべきだろうか。しかしその落ち着きは、こういうことにも現れているのである。