プラトン『パイドロス』

 話というものは,すべてどのような話でも,ちょうど一つの生きもののように,それ自身で独立に自分の一つの身体を持ったものとして組み立てられていなければならない.したがって,頭が欠けていてもいけないし,足が欠けていてもいけない.ちゃんと真ん中も端もあって,それらがお互いどうし,また全体との関係において,ぴったりと適合して書かれていなければならない.


(【参考】アリストテレス詩学』:「悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した一つの全体としての行為,の再現である……全体とは,初めと中間と終わりをもつものである.初めとは,それ自身は必ず他のもののあとにあるものではないが,そのあとには本来他のものがあったり生じたりするところのものである.反対に,終わりとは,本来それ自身は必ず,あるいはたいてい,他のもののあとにあるものだが,そのあとには何もほかにないところのものである.また中間とは,本来それ自身も他のもののあとにあり,それのあとにも他のものがあるところのものである.それゆえ,巧みに組みたてられた筋は,勝手なところからはじまることも,勝手なところで終わることも許されず,いまあげた形式(初め,中間,終わり)を守らなければならない」)