ヴォルテール『カンディード』(吉村正一郎 訳)

 彼がこれをア・プリオリに証明しているうちに、船は真二つに裂けて、みんな死んでしまい、助かったのはパングロスカンディードと、有徳の再洗礼教徒(アナバプティスト)を溺死させたあの水夫のけだものだけであった。このならずものは運よく海岸まで泳ぎついた。パングロスカンディードも板子に乗って漂着した。
 彼らはやや正気をとりもどすと、リスボンの方へ足を運んだ。路用もなにがしか残っていたので、時化はのがれたし、飢をしのげる当てもあったのだ。
 恩人の死を嘆きながら、市中に足を踏み入れたかと思うと、たちまち足下の大地が震動するのを感じた。港内は海水泡立ち高潮して、碇泊中の船舶は破壊された。炎々たる焔、火の粉の渦巻が通りや広場を覆うた。家は倒れ、屋根は土台の上に落ちかさなり、土台はばらばらに飛び散った。老若男女三万の住民は倒壊した家屋の下に圧しつぶされた。水夫は口笛を吹いて、口汚くいうのだった。
「こいつぁ、どうやら余徳がありそうだぞ。」
「いったいこの現象の充足理由は何だろう。」とパングロスが言った。
「これこそ世界の最後の日です。」とカンディードは叫んだ。
 水夫はすぐさま廃墟の真只中に駆け込んで、死人もものかわ、金を猟(あさ)り、見つければ奪いとり、したたか酒をくらって、ひと眠りして酔をさますと、こわれた家の跡で、しかも瀕死のものや死人のまんなかで、行き当りばったり善意の娘の媚(こび)を買うのだった。