ミハイル・バフチン『小説の言葉』(伊東一郎 訳)

 狭義の詩的イメージ(形象=比喩)においては、あらゆる運動、すなわちイメージとしての言葉の動きは、(そのあらゆる要素を含めた)言葉と(そのあらゆる要素における)対象との間に展開される。言葉は対象そのものの汲みつくしがたい豊かさと矛盾をはらんだ多様性の中へ、その〈無垢の〉いまだ〈語られていない〉本質の中に溺れこんでしまう。このために、言葉は自己のコンテキストの領域の外に何ものをも予想できない(もちろん言語自身の富は別にして)。言葉は、言葉が自己の対象を認識してきた矛盾にみちた歴史や、それに劣らず言語的矛盾(ラズノレーチェ)をはらんだこの認識の現在を忘れている。