ミハイル・バフチン『小説の言葉』(伊東一郎 訳)

下層の見世物小屋や定期市の仮舞台においては道化のちぐはぐなことばや、あらゆる〈言語〉と方言の滑稽な口真似が響きわたり、ファブリオー〔十二―十三世紀にフランスで生まれた滑稽・風刺的な小話〕や、シュヴァンク〔中世ドイツで行なわれた風刺的物語〕、街の小唄、諺、アネクドート等の文学が発展してきたのである。そこにはいかなる言語的中心もなく、詩人や学者、修道僧や騎士たちによる生き生きとした〈言語〉遊戯が行なわれていた。そこではあらゆる〈言語〉は仮面であって、言語の紛う方ない真実の顔などは存在しなかった。
 これら下層のジャンルにおいて組織された言語的多様性は、(そのジャンル的なあらゆるヴァリエーションを含む)公認された標準語――国民や時代の言語・イデオロギー的生の言語的中心――に対する言語的矛盾であったばかりでなく、それに対する意識的な対立でもあった。様々な言語が、同時代の公式的諸言語に対してパロディー的かつ論争的に鋭く対置された。それは対話化された言語的多様性だったのである。