プラトン『国家』(藤沢令夫 訳)

「してみると」とぼくは言った、「医術は、医術の利益になることを考察するものではなく、身体の利益になることを考察するものなのだ」
「そう」と彼。
「また馬丁の技術とは、馬丁の技術の利益になることを考えるものではなく、馬の利益になることを考えるものだ。さらには他のどのような技術も、その技術自身の為をはかるものではなく――なぜなら、はじめから何も不足していないのだからね――、その技術がはたらきかける対象の利益になることを考察するものなのだ」
「まあ、そういうことだろう」と彼。
「ところで、トラシュマコス、そうしたもろもろの技術とは、それがはたらきかける対象を支配し、優越した力をもつものだ」
 こんどは彼はいやいやながら、やっとのことでうなずいた。
「してみると、およそ知識とは、どんな知識でも、けっして強い者の利益になる事柄を考えて、それを命じるのではなく、弱い者の、つまり自分が支配する相手の利益になる事柄を考えて、それを命じるのだ」
 この点についても彼は、最後にはとうとううなずいたものの、懸命に抵抗を試みようとした。しかしとにかく同意を与えてくれたので、ぼくは議論をつづけた。
「だからまた、およそどんな医者でも、彼が医者であるかぎりにおいては、医者の利益になることを考えてそれを命じるのではなく、病人の利益になる事柄を考えて命令するのではないかね? なぜなら、すでに同意されたところによれば、厳密な意味での医者というものは、金儲けを仕事にする者ではなくて、身体を支配する者のことなのだから。――どうだね、そういうことが同意されたのではないか?」
 彼はうなずいた。
「また厳密な意味での船長とは、船乗りたちを支配する者のことであって、船乗りのことではないということもね」
「同意された」
「そうすると、そのような意味での船長であり支配者である者は、船長自身の利益になる事柄を考えて命じるということはないだろう。彼が考察し命令するのは、船員として支配される者の利益になる事柄なのだ」
 彼はしぶしぶこれを認めた。
「そしてまた、トラシュマコス」とぼくは言った、「一般的にどのような種類の支配的地位にある者でも、いやしくも支配者であるかぎりは、けっして自分のための利益を考えることも命じることもなく、支配される側のもの、自分の仕事がはたらきかける対象であるものの利益になる事柄をこそ、考察し命令するのだ。そしてその言行のすべてにおいて、彼の目は、自分の仕事の対象である被支配者に向けられ、その対象にとって利益になること、適することのほうに、向けられているのだ」