アーノルド・ベネット『老妻物語』

 そこまで近づいて見てみると、彼女の顔は、その果実のような頰に普通はほとんど目に入らぬほどの色合いをたたえ、驚くほど美しかった。黒っぽい瞳にはえも言われぬ霞がかかり、その胸に秘められた忠誠心が自分に向かっているのを彼は感じた。彼女は恋人よりもほんのわずか背が高かったが、胸を相手に押しつけたまま、ぶら下がりぎみに体を後ろに反らしていたため、彼の方は相手を見上げるというより、むしろ見下ろすような格好になっていた。彼はそれをありがたく思った。体型こそ見事に均整がとれているものの、上背がないのが彼の弱点であった。五感がたかぶるにつれ、彼の気分もまた高揚してきた。不安は退いていき、彼は自己満足に浸り始めた。自分は一万二千ポンドを相続し、この類まれなる女性の愛を勝ち得たのだ。これは自分の獲物なのだ。彼は彼女を強く抱き寄せ、心おきなくその肌の細部を眺め回し、心おきなくその薄い絹の服を握りしめた。彼の中の何かが彼女の手を引いて欲望の祭壇へと誘い、慎ましさを捧げるように仕向けたのだ。そして太陽は明るく輝いていた。彼はさらに情熱的な接吻を浴びせたが、その態度にはいかにも勝ち誇ったような落ち着きがあった。そしてそれに応える彼女の情熱的な接吻は、失いかけていた自信を回復させてあまりあるものであった。
 「もうあなたしかいないの」。彼女はとろけるような声でささやいた。
 世間知らずの彼女は、このような気持ちの伝え方が相手を喜ばせるものだと考えた。彼女には男の心理というものがわかっていなかった。すなわち、男はこのような科白を聞いたとたん、相手が自分の特権よりも責任の方に重きを置いていることを知って背筋の寒い思いをするものなのだ。そしてこの言葉は、彼女が責任を求めているような雰囲気を伝えることこそなかったが、案の定ジェラルドの気持ちをすっかり冷ましてしまった。彼は曖昧な笑みを浮かべた。ソフィアにとって、彼の微笑はつねに塗り替えられる奇蹟の図像であった。そこには、沸き上がるような陽気さとそれとなく訴えかけるような欲望が混じり合った微妙な色合いがあり、それが彼女を魅了せずにはおかなかった。ソフィアより幾分でも世慣れた女性であれば、ジェラルドを頼りにすることだけはしてはならないことを、その人好きのする女性的な微笑から読み取ったかもしれない。だが、ソフィアにはまだ勉強が足りなかった。