ヘンリー・フィールディング『ジョゼフ・アンドルーズ』

 「おまえは一途になりすぎるんだ。そんなに熱を上げていると、もしその娘さんが神に召されるようなことになったら、今生の別れは相当につらからろう。なあ、よいか、キリスト教徒たるもの、俗世のものに心を留めてはならん。神の意思によって求められたら、どんなものでも心静かに、快く差し出すようでなければいかんぞ」。この言葉が終わるが早いか、一人の男が飛び込んできて、アダムズ氏に末息子が溺れ死んだと伝えた。彼はしばしじっと立ち尽くしていたが、やがて足を踏み鳴らすようにして部屋中を歩き回り、悲しみに打ちひしがれた様子で息子の死を嘆いた。ジョゼフもまた不安で胸が一杯であったが、なんとか自分を立て直して牧師を慰めにかかった。そのために用いた話術の多くは、牧師が公私にわたって行なってきた説法の受け売りであった(そもそも、熱情を目の敵(かたき)にする牧師は、理性と善意によってそれを克服せよという類のことしか言っていなかった)が、牧師にはその忠告に耳を傾けるような余裕はなかった。「なあ、おまえ」と彼は言った。「無茶を言うものではないぞ。自分の子供の中でも、他の子ならばじっと耐え忍びもしよう。だが、あのチビが、この年寄りの唯一の慰めが――あの子が、この世の人生に歩み出して間もなく連れ去られてしまうとは。決して悪さをしない、可愛くて、いい子だった。今朝、ラテン語のお稽古を始めたばかりなのに。ほら、これがお稽古の本だ。かわいそうに! もうこれもいらなくなってしまったのか。最高の学者になって、教会の宝となったろうに――あれほどの才能と善良な性格とを兼ね備えた子供はいた試しがない」。「それに、顔立ちも整っていましたわ」。ファニーに抱きかかえられながら、ようやく気を取り戻したアダムズ夫人が言う。――「かわいそうなジャッキー、もう二度と逢うことはできないのか」。牧師が言う。――「いいえ、逢えますとも」とジョゼフが言う。「それももっといいところで。再び逢ったら、二度と別れることはありません」。――おそらく牧師はこの言葉を聞いていなかったであろう。もとよりジョゼフの話などまったく気に留めていなかったのだから。彼はひたすら嘆き続け、涙が胸元に流れ落ちた。とうとう彼は、「あの子はいったいどこに行ったのだ?」と叫んで猛然と外に飛び出したが、そのときの彼の驚きと喜びはきっと読者の皆さんにも伝わるに違いない。たしかにびしょ濡れではあったが、生身の息子が彼に向かって走ってきたのだ。