マルカム・ブラドベリ『ヒストリー・マン』

 話すことは山とある。「彼女の何が怖いの?」とフローラは訊いて、大柄な体をハワードの上にどっしりと乗せる。胸が彼の顔の前に迫ってくる。「たぶん、おたがい同じ領域で、近すぎるところで競争してるんだと思う」とハワードは言う。「納得はいく話さ。彼女の役割は依然僕の役割に結びつきすぎている。それで彼女の成長が妨げられる、だから彼女としては僕の足を引っぱりたい気持ちに駆られるのさ。内側から僕を駄目にしたいと思うわけだ」。「苦しくない? あたし、重すぎない?」とフローラが言う。「大丈夫」とハワードは言う。「どうやって駄目にするわけ?」とフローラが訊く。「まず、僕のなかの弱さの核を見つけようとするんだ」とハワードは言う。「僕がニセモノでいんちきな人間だって信じ込みたいのさ」。「あなたの胸ステキね、ハワード」とフローラが言う。「君のもだよ、フローラ」とハワードが言う。「あなたニセモノでいんちきな人間なの?」とフローラが訊く。「そんなことないと思う」とハワードは言う。「少なくとも、人並以上にはね。僕はただ、いろんな物事を起こしたがるたちなだけさ。混沌のなかに、いくらかなりとも秩序を引きずり込みたいのさ。それを彼女は、流行の尻馬に乗ったラディカリズムだと思うわけだ」。「ふうん」とフローラは言う。「ねえハワード、彼女、思ったより頭いいのね。浮気はしてるの?」。「と思うよ」とハワードは言う。「君ちょっと動いてくれるかな、痛いんだ」。フローラは彼の上から転がるようにして降り、彼と並んで横たわる。二人はそのまましばらく、彼女の白いアパートで、仰向けに天井を見上げている。「知らないの? 調べてみようとか思わないわけ?」とフローラは言う。「思わないね」とハワードは言う。「健全な好奇心がないのねえ」とフローラは言う。「ひとつの生きた心理がそこにあるっていうのに、ぜんぜん興味がないなんて。彼女があなたのこと駄目にしたがるのも無理ないわね」。「それぞれが自分の道を行くのがいいと二人とも思ってるんだ」とハワードは言う。「シーツかけなさいよ」とフローラは言う。「あなた汗かいてるわ。そうやってみんな風邪ひくのよ。でもとにかく、あなたたち別れないわけね」。「そう、我々は別れない、でもおたがいを不信の目で見あっている」。「ふうん、なるほどね」とフローラは言って体を横にして彼の方を向く。大きな右の乳房が彼の体にしなだれかかり、彼女の顔にとまどったような表情が浮かぶ。「でもそれって、結婚というものの定義じゃない?」

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