キングズリー・エイミス『ラッキー・ジム』

 「ええと、さて。君、何というタイトルにしたんだっけな?」。ディクソンは窓の外を向いて、飛ぶように過ぎていく、雨多い四月のあとで明るく緑に染まった野原を眺めた。彼から言葉を奪ったのは、この三十秒間の会話の二重露光的効果ではなかった(そんなものはウェルチの会話では基本的要素だ)。ディクソンを沈黙させたのは、ほかでもない、自分の書いた論文のタイトルを口にせねばならないことへの恐怖感だった。それはまさに完璧なタイトルであった。論文全体を貫くこせこせしたからっぽさ、欠伸を誘発せずにいない葬送行進のごとく陰鬱な事実の羅列、問題ならざる問題に対して論文が投げかけている光とは似て非なる光、、それらを見事に結晶化していた。ディクソン自身、そのような論文を何ダースも読んだことが、あるいは読みかけたことがあったが、自分が書いた論文は、おのれの有用さと意義とを確信している印象を与える点において最悪であるように思えた。「奇妙にも無視されてきたこの問題において」とその論文ははじまっていた。奇妙にも無視されてきたどの問題だ? 奇妙にも何されてきたこの問題だ? 奇妙にも無視されてきたこの何? そう自問しながらも、タイプ原稿をビリビリに破いて火をつけてしまいもせずいまに至ってしまった結果、自分でもますます自分が偽善者かつ阿呆であるように思えた。「ええと、さて」とディクソンはウェルチの言葉をオウム返しにくり返して、思い出そうと努めるふりを装った。「あ、そうそう。『一四五〇―八五年における造船技術の発達の経済的諸影響』ですね。まあ中味も要するにそういう……」
 センテンスを終えることができずに、ふたたび左を向くと、およそ九インチの距離で、一人の男の顔が彼の顔とまともに向きあっているのが見えた。ディクソンが見とれるさなかにも、見る見る恐怖の色に満ちていったその顔は、たったいまウェルチが二つの石壁にはさまれた鋭いカーブで追い抜くことを選びとったバンの運転手のものであった。と、巨大なバスが、カーブの前方からにわかに視界に入ってきた。ウェルチがここでわずかにスピードを落としたことによって、バスがすぐ前まで来たときに彼らの車がバンと横一直線に並んでいるという事態はいまや確実なものとなり、ウェルチはきっぱりと言った。「うん、それでいいんじゃなかろうかね」