ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』

 ダロウェイ夫人は自分で花を買いにいくと言った。ルーシーは他の仕事で手一杯だから。ドアは蝶番(ちょうつがい)を外すことになるだろう。ランぺルメイヤーの人が来てくれることになっている。それに、とクラリッサ・ダロウェイは考えた。なんという朝でしょう――まるで浜辺で遊ぶ子供たちに訪れるような清々しい朝。
 なんて素敵なの! なんて爽快な気分! 今でも耳に残る蝶番のきしみ、あのキーキーという小さな音と共に勢いよくフランス窓を押し開け、ボートンの外気の中に飛び込んでいったとき、彼女はいつもこんな気分を味わったものだ。なんて清々しくて、穏やかで、それに早朝はもちろんもっと静かだった。波が打ち寄せてくるみたい。そして足元を撫でていく。冷たくて、爽やかで、それでいながら(当時十八歳の少女だった彼女にしてみれば)厳かな朝の空気に包まれて、開け放たれた窓のところに立ち、こんな風に、何か凄いことが起こるのではないかと感じていた。花を見、木に目をやると、そこから煙が輪を描いて立ち昇り、ミヤマガラスが舞い上がり、そして舞い降りる。じっと立ちつくしたままその様子に見入っていると、ピーター・ウォルシュが「野菜に囲まれて瞑想ですか?」と言った――そうだったかしら?――「僕はカリフラワーより人間の方が好きですけどね」――そうだったかしら? ある朝、朝食時にテラスに出ていたとき、そう言われたんだわ――あれはピーター・ウォルシュだった。そろそろインドから帰ってくるはずだけど。でも、あまりに退屈な手紙だったから、六月だったか七月だったか忘れてしまった。記憶に残るのはあの人が口で言ったこと。それにあの目、ポケットナイフ、微笑み、気難しさ、そして、幾千万のものごとが記憶の彼方に消えてしまったけれど――なんて奇妙なことでしょう!――キャベツがどうとかいう、こういう科白だけは忘れないものなのね。