J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

 サリーの奴、ラント夫妻のことをほめまくる以外はあまり喋らなかった。とにかくきょろきょろあたりを見まわすのと、自分のチャーミングな姿を見せびらかすのとで忙しかったから。と、突然、ロビーの反対側に誰か知りあいの阿呆がいるのが見つかった。よくある濃いダークグレーのフランネルのスーツを着て、これまたよくあるチェックのベストを着た奴だ。まるっきりのアイビー・リーグ。大したもんだよ。壁ぎわに立って、煙草を死ぬほどふかして、最高にタイクツって顔してる。サリーは何べんも「あの人、ぜったいどこかで会ったわ」と言った。サリーといると、どこへ行ってもぜったいどこかで会った奴が出てくるんだ。じゃなかったら、どこかで会った気がする奴。あんまり何べんも同じこと言うから、こっちも死ぬほどタイクツになって、「じゃあ行ってフレンチキスでもしてやれよ、会ったことあるんだったら。喜ぶぜ、きっと」と言ったら、サリーの奴ブスッとしちゃったけど、そのうち相手の方が気づいてこっちへやって来て、ハロー、と声をかけてきた。こいつらがハローって言っているとこ、君にも見せてやりたかったね。もうまるっきりさ、二十年ぶりに再会を果たしましたって感じで。ずっと昔、小さいころ同じバスタブで一緒にお風呂に入りました、とかそんな感じ。幼なじみ。吐き気がしてくるね。こいつらほんとはきっと、いっぺんどっかのインチキなパーティーで会っただけなんだ。やっとのことでべちょべちょヨダレ飛ばしまくりの話が済むと、サリーが僕をそいつに紹介した。ジョージ何とかっていう名前で――もう覚えてない――アンドーヴァーの学校に行ってるって話だった。まったく、大したもんだよ。お芝居はどうだったってサリーに訊かれたときの奴の様子ときたら、いやほんと君にも見せてやりたかったね。人の質問に答えるときに、わざわざゆったりスペースをとらないと気が済まないインチキな奴っているけど、こいつがまるっきりそれでさ。ぐっとうしろに身を引いて、うしろにいた女の人の足を踏んづけちゃったくらいで、ありゃきっと体じゅうの足指の骨一本残らず折っちまったね。で、奴は、劇そのものは傑作とはとうてい言えないが、ラント夫妻、むろんあの二人はすごい、あれは掛け値なしの天使だ、と言ってのけたんだ。天使。よく言うよなあ。天使。参ったね。それからそいつとサリーとで、共通の知りあいの連中のことをぺちゃくちゃ喋り出した。あんなにインチキな会話、君もきっと生まれてこのかた聞いたことないね。

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