森鷗外『山椒大夫』

 炉の向側には茵(しとね)三枚を畳(かさ)ねて敷いて、山椒大夫がすわっている。大夫の赤顔が、座の右左に焚いてある炬火(たてあかし)を照り反して、燃えるようである。三郎は炭火の中から、赤く焼けている火筋(ひばし)を抜き出す。それを手に持って、暫く見ている。初め透き通るように赤くなっていた鉄が、次第に黒ずんで来る。そこで三郎は安寿を引き寄せて、火筋を顔に当てようとする。厨子王は其(その)肘に絡み附く。三郎はそれを蹴倒して右の膝に敷く。とうとう火筋を安寿の額に十文字に当てる。安寿の悲鳴が一座の沈黙を破って響き渡る。三郎は安寿を衝き放して、膝の下の厨子王を引き起し、其額にも火筋を十文字に当てる。新に響く厨子王の泣声が、稍(やや)微かになった姉の声に交る。三郎は火筋を棄てて、初め二人を此(この)広間へ連れて来た時のように、又二人の手を摑まえる。そして一座を見渡した後、広い母屋を廻(めぐ)って、二人を三段の階(はし)の所まで引き出し、凍った土の上に衝き落す。二人の子供は創(きず)の痛(いたみ)と心の恐(おそれ)とに気を失いそうになるのを、ようよう堪え忍んで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の小家(こや)に帰る。