小沼丹『懐中時計』

 上田友男の家には使っていない懐中時計が二つある。二個とも彼の亡くなった父君の持物である。彼の父君は軍人だったそうで、一つは恩賜の銀時計、もう一つはロンジンの懐中時計である。この裡、恩賜の時計は譲る訳に行かぬがロンジンなら譲らぬものでもない、ざっとそんな話である。
 ――しかし、その時計は動くのかね?
 ――動くよ、と上田友男は心外だと云う顔で口をとがらせた。もう三十年ばかり経つが、いいかい、三十年だぜ……。
 三十年経つがいまに至るも正確無比で一分一秒と狂わないのだそうである。
 ――まあ、考えておこう。
 ――いいかい、と上田友男は尤もらしい顔をして云った。一つはっきりさせておくが、僕は別に君に時計を売りつけようとしている訳じゃないんだぜ。あくまで好意的な提案なんだからね。そこんところを間違えないで貰いたいな。
 僕は、間違えやしないから安心しろ、と答えておいた。
  (中略)
 ――ところで、君の方の気持は決ったかい?
 ――一体、幾らで譲るつもりなんだい?
 ――幾らぐらいならいいかね?
 そんな話をしていたら駅へついたので、われわれは右と左へ別れた。時計の値段は次の機会に話しあうことにしたのである。


 果して、十年前のそのころ、僕に上田友男の懐中時計を買う意志が本当にあったのか、また、彼に売る意志が本当にあったのか、どうもよく判らない。しかし、われわれが一個の時計を中心にいろいろ論じあったのは事実である。
 最初の交渉は、一軒の酒場で行われた。先ず、僕の方から、そんな古時計は只で呉れたらどうだ? と切出したが、彼は問題にしなかった。それは死んだ親爺に失礼だ、と云うのが彼の云い分であった。僕はそんな云い分に一向に権威を認めなかったが、彼は固く自説を守って枉げなかった。
 その結果、われわれはうまいことを思いついた。双方で最高と最低の値段を云って、互いに妥協点まで歩み寄ろうと云うのである。僕と上田友男は酒場のメモ用紙を貰って、互いに数字を書き入れて交換した。
 ――ゼロが一つ、足りないんじゃないのかい?
 上田友男が口をとがらせた。
 ――ゼロが一つ多すぎるな。
 と、僕は云った。上田友男は一万円の値をつけ、僕は千円とつけたのである。上田友男はロンジンのために弁じた。曰く、わが家のロンジンの懐中時計は正確無比の高級品である。今日懐中時計は流行からは見放されているが、その骨董的価値は莫大である。そのような時計を身につけていると、その所有者まで何やら奥床しく見えるであろう、と。
 そこで僕も一席弁じた。
 いまどき懐中時計を買おうなんてもの好きは滅多にあるものではない。僕が要らぬと云えば、そのロンジンはおそらく彼の家の抽斗のなかかどこかに、いつまでも眠っているであろう。無用の長物であるにすぎぬ。まして、僕は実用品として懐中時計を求めるのであるから、その骨董的価値なぞ一文にもならないのである、と。
 上田友男はパイプをふかしながら聞いていたが、軽く咳払いした。
 ――成程、尤もなところもあるね。じゃ、こっちは九千円にしよう。
 ――ふうん、じゃ、公平を期してこっちも二千円まで出そう。
 それから、二人で乾杯した。
 この辺までは洵に円滑に運んだが、そのあとはなかなか進展しなかった。上田友男が六千円まで譲歩し、僕が四千円と値をつけるまでに、半年は経過していたろう。
 この間に、僕は上田友男に肝腎の時計を見せてくれと頼んだが、彼は決して見せようとしなかった。だから、僕がその時計の存在を疑ったとしても不思議はあるまい。
 ――ほんとにあるのかい?
 ――ありますよ、莫迦なこと云っちゃいけないよ。
 ――じゃ、何故見せないんだ? 買主は品物を見てから買うものだろう。
 ――こっちを信用して貰いたいね。
 しかし、あるとき上田友男が酔って話したところによると、うっかり僕に時計を見せて、僕が感心していい時計だと讃めたりすると、彼は何かの弾みで僕に時計を「進呈する」と云い出さぬとも限らない。それが心配だと云うのである。
  (中略)
 半年も経つと、この交渉も一種の遊戯と化した感があって、両方ともあまり熱がなくなっていたのも事実である。
 ――いい加減で買っといた方が、いいと思うがね……。
 ――この辺で売った方がいいぜ。
 そんな文句を、今日はいい天気だね、と云う替りに交していたのである。