丸谷才一『笹まくら』

 香奠はどれくらいがいいだろう? 女の死のしらせを、黒い枠に囲まれた黄いろい葉書のなかに読んだとき、浜田庄吉はまずそう思った。あるいは、そのことだけを思った。その直前まで熱心に考えつづけていたのが、やはり香奠のことだから、すぐこんなことを思案したのは心の惰性のようなものかもしれない。
 忙しい朝だった。課長は課長会議の席から電話で、いろいろなことを問合せたり、言いつけたりしてくる。ほかにも電話がかかってくるし、来客も多い。それに、出張中のもう一人の課長補佐が受持つ分まで、浜田に仕事がかぶさってくる。彼はそういうことの合間に、ある名誉教授の告別式に包む香奠の額を、庶務課の課長補佐として考えていたのである。その告別式にはたぶん学長がゆくはずだった。
 香奠の額は決めかねた。調べてみると、一昨年ある名誉教授が死んだときは一万円で、もともとこれは安すぎるし、その後、物価は非常にあがっている。三万円にふやしても、去年の夏に常勤の理事ではないある理事が死んだときの三十万円とくらべて少なすぎるし、しかし五万円では、多すぎると言って課長が渋りそうだ。課長は認めても、専務理事は判を押さないだろう。それに大学は企業体なのだから、名誉教授よりも非常勤の理事のほうが遥かに――三十倍も――重要だという考え方も成り立つはずである。そんなふうに何度目かに迷っているところへ、さっきから入口の近くの机で受領年月日のゴム印を郵便物に押しつづけていた使い走りの少女が、浜田あてのものを一束、持って来たのである。昔の恋人で、しかも命の恩人である女の死を告げる、黒い枠の葉書はそのいちばん上にあった。