小川国夫『貝の声』

 ――もう一杯
 ――へえ、旦那
 ――貝殻の色ってのは褪せないものだな、海にある儘だ
 ――へえ、全く……
 ジャンガストは、夕刊を読んでいる浩の横顔を、見詰めていた。バーテンはそれが気になったので
 ――安南人ですな、といった。
 ジャンガストは貝殻をカウンターに置くと、浩に近づいて、腰掛けている彼を見下していた。浩はそれに気がついたが、その儘新聞を読んでいた。浩の視野には彼が、膝の辺から臙脂の頸巻まで、入っていた。浩には、ジャンガストが痩せた、長身な男なことは、判った。彼はジャンガストの顔つきを想像した。浜に打上げられた古靴のようだろう、と思った。水に晒されて冷い感じを想像した。
 酒場は静まり返った。浩は自分達が酒場の中心になったことを感じていた。彼は目を上げて、ジャンガストの潰れた顔を見た。彼は
 ――想像は違ったな、と思った。そして、視野をカウンターへまで移して、
 ――勘定、といった。
 表へ出ると日はすっかり暮れていた。さっきまでの雨は上った。浩は灯のある方へ歩いて行った。